- 2016-10-09
軍学共同・国防研究をしないから日本の大学はイノベーションが起きない
このところポツポツと話題になる、日本の防衛省予算や米軍のグラントなどを大学で受けて研究をするスタイル、軍学共同研究。
日本学術会議が軍事研究否定の姿勢を見直して大学と国防関連組織の軍学共同研究の可能性を探る一方で、左派大学教授やいわゆる"平和主義者"を始めとする各界では「国防」「軍事」というワードへの根強い反発もあります。
でも、ハッキリ言ってしまえば、日本の大学からイノベーションの創出が伸び悩んでいるのは国防研究をしないから、である。

1. そもそも国防予算=兵器作りではない
こういう話題になると、「あなたの研究が人殺しに使われて良心が痛まないのか?」という紋切り型を研究者にぶつけるのはよくあります。
これがそもそもの大間違い。
軍や自衛隊が使うモノを国防予算で研究する、それはミサイルや戦車や銃などの兵器だけではない。
衣食住などで隊員の生活を向上させる技術、限られた現場で生命を守る医療技術、復興作業を支援する技術、現実に自衛隊やその他軍隊が活動している現場に少し想像を巡らせることができれば、様々なところに「命を守る技術」が必要とされていることは容易にわかります。
国防予算=人殺し、という議論にもならない前提の反対運動は話になりません。
2. 国防に匹敵する切実なニーズは現代社会に少ない
イノベーションやらブレークスルーやらカタカナ語で言われているが、全く新しい商品が市場に浸透するにはまず何らかの「切実なニーズを持った誰か」を探すことが重要です。
「必要は発明の母」ということです。
通常の研究や企業活動では 「~~を誰でも出来るようにしたい」「~~をラクにしたい」……といったところでしょう。
デフレ社会などと言われて久しい今日このごろ。発展途上国の貧しい人々でもスマホを手にできる世界。
残された切実なニーズはあまり多いとは言えないことが伸び悩むものつくりの原因の1つでしょう。
国防、すなわち国民の生命と財産を守る活動、は先進諸国において永遠不滅の切実なニーズそのものです。
特に21世紀の戦闘・戦争において求められているのは、敵を効率的に沢山殺す兵器よりも、隊員や戦闘地域の住民を如何に守って任務を遂行するかです。
第二次世界大戦のような国家間総力戦ではなく、テロとの戦いや非対称戦闘などが中心になる現代世界において、このような生命を守る技術へのニーズはますます高まるでしょう。
20世紀の戦争のイメージを引きずった時代遅れのイデオロギーにしがみついて、いまこの時代の波に逆らうのは全くナンセンスです。
3. 社会全体への波及が大きい
「生命と財産を守る技術」を軍だけが使うわけではないのは当然。民生品への活用が期待されます。
「そんな必要なものなら、国防予算じゃなくても普通の研究費や産学連携で良くない?」という人もいるでしょう。
しかし国防のニーズの切実さは、通常の民生品とはケタ違い。国防という大きな目的があれば、普通の企業では出せない研究予算や失敗のリスクを請け負うことができます。
国防予算での研究は、公共事業のような社会全体への投資。
そもそも21世紀に入って花開いたIT産業を中心とした新技術も、米ソ冷戦下の莫大な軍事関連研究が社会波及した結果の産物。
みんな大好きシリコンバレーだって、軍事研究無しにあのような起業家精神のあふれる土壌を作れなかったでしょう。
日本の高度成長期のイノベーションも、多くは戦前戦中の軍事研究予算や研究人材が民間へ流れたことから起きたようなもの。
どれも国が金を出して始めて可能になったのであって、少額の補助金を渡して民間や純粋な学術研究に任せるだけではイノベーションは無理なのです。
4. まとめ
そもそも国防は人殺しではありません。人の生命と財産を守ることです。
生命と財産を守ることほど切実なニーズはありません。
20世紀の古いイメージの軍・学・民・官などの区別を乗り越えるべき時代が来たのです。
国防予算による軍学共同研究で得られた「インフラ」である新技術が、民生品として活用される道が開かれることを大いに期待します。