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  • 2011-10-15

メタボリズム建築と生物学的未来文明


  10月14日、大学の授業が早く終わったので六本木ヒルズの森美術館で開催中のメタボリズムの未来都市展に行ってきた。
SF好きな私にとっては東京計画1960みたいな高度成長期のぶっ飛んだ都市計画を現在のCG技術で再現したものを大画面で上映しているのを見れただけでも充分エンターテインメントとして楽しかったが、ここではもう少し真面目なことを考えてみたい。


メタボリズム建築といえば、中銀カプセルタワービルのような着脱可能なプレハブ建築が代表的である。
都市問題は無計画に個々の経済主体が家やビルを建て、居住し、生活し、交通し、生産し、廃棄していくから発生する。また、技術進歩により要らなくなったものは必然的に廃棄される。このような状況に対して計画的に都市全体を建築物として扱って考える「メガストラクチャー」という考えが現れた。さらに、不要になったり壊れたりした部分を用意に切り離して新しいものにする、容易に代替可能な造り、プレハブ、にする。これは生物が時々刻々と己の器官や細胞を構成する物質を入れ替えることによって自身を定常的に保っている活動、「メタボリズム=新陳代謝」、に似ている、ということからメタボリズム建築が考案された。


世界デザイン会議や東京計画1960というメタボリズム建築の思想が花開いた時代である50年代から60年代というのは、生物学においては1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによってDNAのB型二重らせん構造のモデルが示され、DNAは生体内で『二重らせん構造』をとっていることを示す論文(Nature 171:737,738)が発表され、DNAによるセントラルドグマが広く人々に影響を与えた時代であった。生物と無生物のあいだにはなにかサイエンスでは解き明かせない神秘があるという人々の直感に反して、DNAの塩基配列というデジタルな情報で生物は形作られているという発見が示されたのである。このような生物学的な発見に人間の生活をより良くしたいとする建築家の感性が反応し、生物学に注目するようになるのは至極当然なことであろう。


しかし、「メタボリズム」の概念を建築に取り入れることは果たして合理的だったのだろうか。この記事はその点をサイエンスの立場から考えてみる。


まずは生物におけるメタボリズム=代謝について考えてみよう。
生物が自身の生命を維持するために代謝が必要なのは、生命というものが定常的なエネルギーの流れの中の散逸構造であるからだ、と開放系熱力学では説明される。このことのわかりやすいたとえとして、水流の中にできる渦巻きのような構造が生命である、等と言われる。
エントロピー増大則は世界は物質やエネルギーをより濃淡の薄い状態へと平均化する方向に現象が進むとしているが、生命は主体的にその世界の流れに歯向かって自身を維持している。これは生命が物理法則を破る何か神秘を持っているのではない。先ほど触れた散逸構造というのはエントロピーの増大に従うように拡散していく過程において、より速く拡散するためにできる秩序構造である。水をしたから温めたときに発生する対流が散逸構造のわかりやすい例である。下が熱く上が冷たいならば、エントロピー増大則に従って水の温度は平均化されエントロピーが極大になるが、より速く効率的に平均化されるためには対流という秩序構造を採った方が良いのである。
太陽の核融合に起因する強烈なエネルギーの流れにより、地球にはエネルギーの不均一が発生する。これは大気や海洋の対流による散逸構造が形成し、さらにその一部として生物が存在するのである。
ここで注目してほしいことは、初めに紹介したように、生命というものがエントロピー増大の嵐吹き荒れる世界の中で自身を維持するのに、頑丈な固体金属結晶のようにしてエントロピーの低い状態を保っているわけではないということである。エントロピーが極大になる平衡状態のことを「熱的死」と言うが、生命自身の生死に関してはエントロピーの高低は本質ではない。生命はエントロピー増大により確実に死に向かっているが、逆にそれに抗い続けることこそが生命の本質であり生きるということなのである。


さて、この散逸構造の考え方を地球環境全体に当てはめることを考えよう。よく「地球は生きている」などという言葉に言われるように、生態系システムというのは人間の直感的にあたかもそれ全体で1つの生命かのように見える。これはなぜなのだろうか?
「同じ物理法則によって形作られる構造は似ている」こういう考え方がある。具体例として重力の逆二乗則を上げる。質量を持つ2つの物体に働く重力は
  F=-GmM/r^2
という逆二乗則の式で与えられるというのは高校物理の教えるところである。これに従って、月は地球の周りを周り、地球は太陽の周りを、太陽は銀河系の周りを、さらに銀河系も多数の銀河の中で運動し…と相似な構造が造られている。これらはすべて重力によって造られる構造であるからすけ^るは違うものの構造の形は似ているのである。これが一度、太陽の内部構造となると、そこは水素やヘリウムといった流体の重力と圧力の釣り合いによる構造になるため、中心があって周りを回るという構造にはならず、それとはことなる構造、ここでは層状球対称の構造、になるのである。
この考え方に従えば、地球生態系がひとつの生命の用に見える理由は簡単である。生命がエントロピー増大則に従っている周囲の環境に存在する定常的なエネルギーの流れの中に存在する散逸構造であるのと同様に、生態系を含む地球表層環境も宇宙空間の中で太陽からのエネルギー流によって造られる散逸構造であるのだ。無論、散逸構造=生命ではない。地球表層環境は太陽からのエネルギー流による受動的な散逸構造なのに対して、生命は自ら代謝を行なって自らを維持しようとする積極的な散逸構造である。この違い、ただの散逸構造の中から生命になるのに必要なジャンプ、はそう低くない。しかし、生命1個体と生態系や環境が相似な構造であるというのは確かである。


では、この考えに基づいて、メタボリズム建築が合理的なのか考えてみたい。
プレハブの古いユニットを新しいものに入れ替える、この仕組は確かに生物の代謝に似ているが、決定的に異なった点として、建築は固体であり、生物は流体である、というものがある。意外に思われるかもしれないが、生物の主要構成物質は液体である。健康を語る場面で「人間の体の~%は水で…」のように言われることを思い出してもらいたい。生命の本質は液体なのである。より厳密に言えば液体の中の膜でくくられた内部、とでも言えばよいだろうか。その中で代謝は行われている。地球表層環境というシステムにおける散逸構造も、地球に十分な量の大気と液体の水が存在することに支えられている。固体のように流動しないものでは、散逸構造は造られない。固体で構築せざるを得ない建築では生物と同じ物理法則に基づいた「メタボリズム」は起こりえないのである。
このように背景に存在する物理法則に基づいた考察を経れば、中銀カプセルタワービルなどのメタボリズム建築が非現実的な単なるモニュメントやアートに堕してしまった理由もわかりやすい。言葉の上ではメタボリズム建築が目指した「機械の原理から生物の原理へ」という考え方は合理的なものに聞こえるし、ドローイングされたデザインを見るともっともらしく見える。しかし、いくら聞こえのよい言葉であっても、いくらもっともらしく見えても、いくら夢があっても、技術Technologyはこの世界の物理法則に背くことはできないのである。
無論、メタボリズム建築ならびにその思想が現代の歴史の中でモニュメントとしてであっても、重要な価値があったことに変わりはない。だが、世にはメタボリズム建築の失敗理由に関する考察があまり見られない気がしたので、こうして記事を立てたのだ。(もちろん私は建築を専門に学んでるわけでないのでちゃんと学んで探せばこの記事なんかよりはるかに高等な考察があるとは思っているが…)


失敗と言ったものの、メタボリズム建築が目指した「機械の原理から生物の原理へ」という考え方は、21世紀の今後の建築、都市、そして社会を構築していく上で決して悪いものではない。建築という固体で保存能力を求められる物に対して、メタボリズム=代謝という流体の物理法則を当てはめようとしたから失敗したのだが、構造のデザインの面において生物のマクロな形態を解剖学的に応用していくという考え方は大いに可能性がある。
メタボリズムの未来都市展において、DNA分子二重螺旋の形をしたメガストラクチャーがあったが、それがよろしくないということも物理法則で考えるとわかる。分子レベルのミクロな世界の物理法則と、建築や都市というマクロな世界での物理法則は異なる。これは量子力学などではおなじみの話だ。サイズが異なる生物、例えばアメーバとハエとネズミとゾウなど、には異なる物理的な力が支配的になる。それに従って生物の体はデザインされている。この辺りに事柄については生物学者の本川達雄氏の有名な著書である『ゾウの時間ネズミの時間』に詳しい。個々の建築の構造から都市という大規模構造まで、生物と同じように背景に存在する法則に沿ったデザインを考えていくという視点が求められるだろう。
さらに都市から社会というレベルまで考えたときには、社会というのは単なる「モノ」ではなくシステムとして考えなければならない。ここには生態系などの地球表層環境との調和という点で散逸構造などの熱力学の考え方によるシステムのデザインが必要になるだろう。この辺に関する考察は、従来の成長経済から定常経済への転換を目指している環境経済学やエントロピー経済学と言った分野の研究である。

まとめると、メタボリズム建築が非現実的なアートになってしまったのは、対象物の属性やサイズによって異なるはずの物理法則の区別がなかった事と、モノのデザインとシステムのデザインを混同していた事とであると、私なりに整理した。物理学を主要背景として20世紀には目覚しく技術が発達し、21世紀の前半までには地球は隅々まで都市化されようとしているが、それが原因で起きている問題に関してはあらためて言うまでもない。この解決に生物学を持ち出す考え方、思想はメタボリズムのみならず幾度も言われてきているが、なかなか実現に至らない。
今回のこの記事での考察で少しでも考え方の整理ができて現実の変革に近づけたら嬉しい、などとちゃっかり思ってたりするが、なかなか現実は難しいと書いている自分で思った。なにしろ、本来ならばこの記事は昨日には書き終えて今日は課題レポートをやっているはずだったのが、今日まで書き終えられなかったのだから(笑)




色々と書きましたが、メタボリズムの未来都市展は面白くて有意義でした。皆さんにも是非足を向けていただきたい。
50年近く昔の若者たちがよりよい未来を思い描いて履いていた不揃いなサンダルの片方は、我々が引き受けて未来に繋がなくてはならないのだ(笑)

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コメント

イタロ・カルヴィーノがお好きなのであれば、阿部公房とかも読みますか?w

阿部公房はまだ手を出してませんね・・・ 

って、君のコメントはどの記事に対するコメント??

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東京大学広域科学専攻D2(駒場キャンパス)
博士課程より、東京工業大学地球惑星科学専攻から移籍しました。
地球惑星科学のなかでも、大陸地殻の成長と進化などといったテーマの地質学・地球化学あたりの研究をしてます。

中学から鉱物コレクションをはじめて早くも15年くらい、鉱物学から地球科学全体へ興味が広がっていって今こうなってしまったという感じの院生です。
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