- 2011-11-20
栃木県文挾クレー鉱山&日光鉱山
2011年11月19日、鉱物同志会で知り合った栃木県在住のKさんのご案内で、文挾クレー鉱山と日光鉱山に行って来ました。生憎の雨のため、Kさんのご自宅でコレクションを見せていただいた後、栃木県立博物館を少し見て、その後に産地の様子見程度の鉱物採集になりましたが、それでも新たな知識をたくさん得ることができて有意義な1日になりました。
まずは、文挾クレー鉱山の様子から。

↑熱水変質によって生じた粘土を採掘している。

↑カーブの辺りで有名な燐灰石の透明結晶が産した。

↑採掘されて階段すり鉢状に。

↑神奈川県渋沢鉱山や奈良県針道などと似た産状で黄鉄鉱の自形結晶が沢山現れている。
文挾クレー鉱山の見学の後、日光鉱山へ向かう。あいかわらず、雨は止む気配なし…

↑日光鉱山の支山の天頂鉱山。通洞坑が残っている。

↑上の写真を取った場所から振り返ると、そこには大通りがあり、ファミリーマートまで見える。個々のコンビニを利用する人のどれくらいが、かつて鉱山があったことを知っているのだろうか…
ちなみに、目の前の雑草地のようになっている所がかつての選鉱所か鉱山事務所があった場所のようです。

↑選鉱所(?)の跡。銅が含まれる土壌に映えると言われるシダ植物、ヘビノネコザが繁茂している。
そして、本題の日光鉱山へ向けて移動。
《栃木県塩谷郡塩谷町船生・日光鉱山》
◆鉱床形態
白亜紀末(65Ma)の奥日光流紋岩類を不整合で覆う風見山田層の中新世中頃(15Ma)の玉生溶結凝灰岩部層の流紋岩岩脈に伴う中温熱水鉱床。 玉生溶結凝灰岩部層は浅海性の堆積物で、大谷層に不整合で覆われる。 年代は微化石およびジルコンのフィッショントラック年代による。鉱物産地としては、斜開銅鉱などの銅の各種二次鉱物、特に砒酸塩鉱物を生じていることで有名。似たタイプの産地として、広島県生口島尾道市(瀬戸田町)林、宮崎県西臼杵郡日之影町嘉納鉱山などが挙げられる。
◆鉱山沿革
明治39年(1906年)の発見と言われ、古くは関東鉱山と称して主に銅が採掘された。昭和7年(1932年)、近隣の複数の鉱山と共に、日本鉱業株式会社に経営が移り、栃木鉱業所日光鉱山となった。
◆主な産出鉱物
硫化鉱物:黄銅鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、デュルレ鉱
酸化鉱物:赤銅鉱、黒銅鉱、、
炭酸塩鉱物:孔雀石
硫酸塩鉱物:ブロシャン銅鉱、ラング石、胆礬
砒酸塩鉱物:斜開銅鉱、コーンウォール石、コルヌビア石、オリーブ銅鉱、アガード石、ミクサ石、パルノー 石、毒鉄鉱、重土毒鉄鉱、スコロド石、ミメット鉱、フィリップスボーン石
珪酸塩鉱物:珪孔雀石、石英
などが産出することが知られている(小原ら 2002)

↑移動途中の車内より撮影。異様に細い道があり、これは昔の鉱山鉄道の軌道跡を利用した道路であるとのこと。塩谷町は沢山の小規模な熱水鉱床があった鉱山の町です。

↑日光鉱山の産地の様子。薄暗いスギ林の中にある。

↑日光鉱山の坑口。個々の坑口を入ってすぐのところから、斜開銅鉱を始めとする多種多様な二次鉱物が産した。特に銅を含む砒酸塩鉱物がさまざまな手が産した。

↑坑道内の様子。かつて斜開銅鉱が産した脈の部分はすっかりなくなってしまった。斜開銅鉱の小さなものなら、坑口を出てすぐのところに散らばっている小石から非膜状のものがちらほら見ることができます。

↑坑道内から外を見る。丁度よい雨宿り?笑いえ、なかは粘土化してドロドロで、リュックも服も泥だらけになってしまいました…熱水鉱床ですからね(^^;)
以下、この日の収穫物です。

↑坑口前のズリから拾った斜開銅鉱Clinoclase。画像幅約10cm

↑坑道内から採集した黄緑色の二次鉱物。フィリップスボーン石Philipsbornite?透明感が無いから違うような気もしますが… 画像幅約8cm

↑上の標本のアップ画像。球状集合になっているのが分かる。表面はモフモフした感じ。

↑こちらも構内から採集した二次鉱物。針状結晶の集合になっている。色合いからして、オリーブ銅鉱Oliviniteですかね?画像幅約3cm

↑上の標本のアップ画像。

↑坑道内の粘土化した部分から取った標本…だったのですが、水洗いしたらグズグズになってしまいました…色からしてミクサ石Mixiteか何かでしょうか? 画像幅約5cm
二次鉱物はなかなか難しいですね。日光鉱山は、次回、天気の良い時にゆっくりと見てみたい産地です。
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